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出石温泉館 乙女の湯
〒668-0263
兵庫県豊岡市出石町福住882
TEL.0796-52-2778
FAX.0796-52-2778
天然温泉、お肌つるつる美人の湯
 

城下町「いずし」の三名城

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此隅山城(このすみやまじょう) ※山名氏城跡保存会発行のパンフレットより引用

此隅山城(このすみやまじょう) ※山名氏城跡保存会発行のパンフレットより引用
 
◆別名/子盗城、此隅城 ◆城郭構造/山城 ◆築城主/山名時義
◆築城年/1372年 ◆主な城主/山名氏 ◆廃城年/1569年
◆遺構/石垣 ◆指定文化財/国の史跡、平成8年11月13日
◆位置/北緯35度29分15.8秒・東経134度52分22.1秒
 
応安5年(1372年)頃、出石神社の北にある標高140mの此隅山に山名時義が築城。以後山名氏の持城となる。応仁元年(1467年)、応仁の乱が始まると、此隅山城には山名の各領国から計2万6000騎の軍勢が集まり、山名持豊(宗全)は当城から京都へ出陣した。但馬の守護所は平野部の九日市にあったが、守護代の垣屋氏におされた守護の山名氏は直割領で守りの堅い此隅山の城に拠点を移し、山麓に館を設け守護所を移した。山名祐豊は、垣屋氏・太田垣氏・八木氏らを制し此隅山城を戦国大名山名氏の居城として確立させたが、永禄12年(1569年)、織田信長の家臣羽柴秀吉に攻められ落城。祐豊は、より急峻な有子山城に居城を移し、城は廃城となった。
 
 
此隅山城縄張り図
 
①主郭(本丸)
 
②折れを持つ土塁
 
③堀切と切岸
 
④竪堀
 
⑤展望スポット
 
⑥御屋敷
 
②③④付近のイラスト
 
⑦宗鏡寺砦
 
此隅山
 

有子山城(ありこやまじょう) ※山名氏城跡保存会発行のパンフレットから引用

有子山城(ありこやまじょう) ※山名氏城跡保存会発行のパンフレットから引用
 
◆別名/有子城、高城 ◆城郭構造/連郭式山城 ◆築城主/山名祐豊
◆築城年/天正2年(1574年) ◆主な城主/山名氏、前野氏、小出氏
◆廃城年/慶長9年(1604年) ◆遺構/石垣、曲輪、堀切、竪堀、土橋
◆指定文化財/国の史跡、平成8年11月13日指定
◆位置/北緯35度27分19.61秒・東経134度52分41.23秒
 
六分一殿として知られる山名氏は元来此隅山城を居城としていたが、永禄12年(1569年)、織田信長派配下の羽柴秀吉(豊臣秀吉)の攻撃を受け落城した。此隅山城が落城した後、山名祐豊は泉州堺(現大阪府堺市)に逃れるが、信長の御用商人今井宗久の斡旋で但馬に帰国し、天正2年(1574年)新たに有子山に築城したといわれる。落城した此隅山が「子盗み」を連想させることから、別の名前であったこの城を「有り子」と名付けられたと言われる。山名氏分家の鳥取城と同じく、山頂付近は天守(詰の城)とされ、山麓に平常時住まいする居館および郭(但馬守護所)がもうけられた。しかし、天正8年(1580年)、山名堯熙の時、再び羽柴秀吉の攻撃を受け、城は落城した。以後、山名豊臣時代は前野長康、小出吉政らが城主となる。関ヶ原の戦い後の慶長9年(1604年)、小出吉英が山麓の館および郭を出石城と名付け、天守部分の狭義の有子山城を廃した。
 
 
有子山城縄張り図
 
③井戸曲輪の石垣
 
④竪堀とセットになった曲輪の虎口
 
⑤尾根先端の堀切
 
⑧石取場の矢穴痕
 
⑨シノギ積の石垣
 
⑩シノギ積の石垣
 
⑪シノギ積の石垣
 
⑫-1本丸の土塁
 
⑫-2本丸の石垣と虎口
 
⑬大堀切
 
有子山頂上
 
有子山頂上
 
本丸から見た出石城下
 
有子山城の歴史年表
 

出石城(いずしじょう) ※山名氏城跡保存会発行のパンフレットから引用

出石城(いずしじょう) ※山名氏城跡保存会発行のパンフレットから引用
 
◆別名/高城城郭 ◆構造/梯郭式平山城 ◆天守構造/建造されず
◆築城主/小出吉英 ◆築城年/1604年 ◆主な城主/小出氏、松平氏、仙石氏
◆廃城年/1871年 ◆遺構/櫓、石垣、堀 ◆指定文化財/豊岡市史跡
◆再建造物/門・橋、模擬櫓 ◆位置/北緯35度27分37.56秒・東経134度52分27.31秒
 
有子山城落城の後、1604年(慶長9)、吉英により有子山城の山上の丸および天守部分が廃され、有子山城山麓の郭および館のみを出石城と命名し幕府に居城として届けた。それにともない平地に、堀で囲まれた三の丸が築かれ、下郭、二の丸、本丸、稲荷丸が階段状に築かれた。城主の居館も成り、このとき城下町も整備され、出石の町並みが形成された。山上の旧有子山城天守は城割は行われなかったが幕府を憚り荒れるに任されたため樹木が生い茂り一見したところ山林となった。なお、一国一城令により、但馬守護山名氏以来の出石城が但馬国唯一の城郭となっている。江戸時代は、出石藩の藩庁となり、小出英及が1696年(元禄9)3歳で死去すると小出氏は無嗣改易となった。代わって松平(藤井)忠周が入城。1706年(宝永3)忠周が転封となると、仙石政明が入城し、廃藩置県まで仙石氏の居城となった。江戸末期には仙石騒動がおこっている。明治時代になり、廃城令で出石城も取り壊されたが、辰鼓櫓、堀、石垣などが現存、また隅櫓、登城門・登城橋などが復元され、堀の周囲一帯は登城橋河川公園として整備されて、観光地となっている。
 
 
出石城想像図
 
出石城縄張り図
 
1.稲荷曲輪・高石垣
 
2.有子山稲荷社
 
3.隅櫓(東)
 
4.稲荷参道
 
5.山里丸跡
 
6.東門跡
 
7.大手門跡・辰鼓楼
 
8.本丸庭園
 
9.諸杉神社
 
10.内堀
 
11.対面所跡
 
12.感応殿
 
13.隅櫓(西)
 
14.渡り櫓跡
 
15.西の曲輪跡
 
16.登城門・登城橋
 
17.家老屋敷
 
18.西門跡
 
辰鼓楼から望む
 
出石城下絵図
 
出石城歴代城主
 
出石城関係年表
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